当時本県民の教育に対する熱意は極めて強く、特に東筑・南北安曇3郡の先覚者は資金1万円を集め、その利子をもって中学校を経営する事となり、苦心はやがて結実、開智学校内に中学科が経営されるにいたったという。以後明治17年長野県中学校が設置されるまで、前記3郡の負担により維持経営されたのである。われわれはこの時代を組合立時代と呼んでいる。地域社会の要望が我が校の誕生を促し幾多の俊秀が育成されることによって、地域社会の要望が報いられ、ひいては国家社会の要望にも応えることができたのである。県立移管後も郷土の人士が校舎敷地はもとより、物心両面に援助協力を惜しまなかったことは顕著な事実であり、以来今日まで我が校はこのような気風に育てられつつ一世紀を経過してきたのである。
このように常に郷土の教育的情熱を集めてきたことを我が校の一つの伝統と呼ぶことができるとすれば、今一つはより直接に教育そのものに関することである。即ちそれは、我が校に学ぶ者は社会の要望に応えうるという誇りと自信の所有者であり、澄みきった知性と高潔な心情とを希求する者であり、更にまた自学自習、自治の気風を絶えず尊重し、実践していく生徒であるということである。この気風は31年間の長きに亘って我が校幾千人の先輩を薫化しつづけた初代校長小林有也先生が教育理念としてその育成助長に格別の力をいたされたところである。
太平洋戦争の敗戦を機に我が国が民主的文化国家として再出発するに当たり、一切の精神的物質的体制は一大変革を加えられ、ここに伝統久しい我が校も昭和23年から松本深志高等学校として新しく発足するに至った。これは単なる名称の変更にとどまるものではなく、古き器に盛られるものは真に新しい内容であるべきことを忘れてはならない。しかし如上の伝統なり気風なりが、これを機会に放棄されるべきではないということは言うまでもない。それらは変わるもののうちにある変わらざるものとして、時の変遷を貫いて大きく強く我々を捉えて止まない。我々は更に発展させ自覚的につよめていかなければならないのである。
小林有也先生が死の床から愛する生徒に与えられた遺訓として次の3条が伝えられている。
1、克く学業に勉励せよ
1、身体を強健にせよ
1、世の悪風に染むことなかれ
我々は、幾多の先輩諸士と同じく、この簡潔な語句の底に流れる清冽にしてひたむきな精神に深い共鳴を覚え、そこから我が道をどこまでも直進せんとする勇猛心が胸中に勃然と沸き起こるのを押さえない。そしてこのとき、我々は我が校の伝統の一端に触れ得たのである。
しかしながら、伝統を継承するとは、徒にに旧きを固守することではない。時の流れとともに、改めるべきは勇敢に改めていくのでなければならない。変革を恐れる悪しき伝統主義は停滞を意味し、停滞は衰亡の道に連なるからである。日に日に新たならんとする烈烈たる気概こそわれわれのものでなければならない。
百年の伝統の声に聴け、而して伝統とは絶えざる脱皮の過程たるを想え。
(注)この文章は、元校長平林六弥先生(故人)が、その昔、戦後まだ間もない頃に書かれたものである。当時、平林先生は岡田甫先生のもとで生徒部長を務められておられたのであるが、先生の残された戦後の「松中自治」「深志自治」再生への功績は大きい。先生が、その30代の気概と情熱を傾けられたこの文章の理念は、30年以上も経た今日においても不変であり、今なお、本校生徒の指針として生き続けている。
起居有礼