「今搗つ米は百姓の涙米・・・」と唄に合わせて玄米を搗つ。6人搗、8人搗、10人搗
、12人搗の搗ち方があり、その技は古より、伝承されている。

平成12年9月奉納
何時の頃から、どのような形で始まったのかは定かではないが、十郷用水の恩恵を受<ける用水流域各地の農民達が五穀豊穰、感謝の意で毎年の秋の例祭に対し、その年の初穂を賽米し、集まった米を搗ぎ、蒸して神社に供え、そのおさがりを参拝者に分け与えたのが原形のようである。
今のような形の表児の米の神事は少なくとも江戸時代には出来ていたようで、第五代丸岡藩主有馬誉純が編纂を命じ、文化元年(1804年)7月完稿した古今類聚越前国誌巻の四には、次のように記載されている。
本郡横地村にふくろじ堂という祠あり。8月14日を祭日とす。表児の米と言う故事あり、恐らくは是なるべし。
明治の世になり、用水全域からの賽米の習慣もすたれ、北横地の氏子のみの賽米でこの神事が守り伝えられ、現在に至っている。なお、表児の米とは感謝の志を表わす表志米が語源とする説が最も有力である。
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信州ふるさと通信
インターネット安曇
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