通信紙
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| ●ちくま20周年記念イベントへのお誘い |
| ●まだまだ 研究中 ちくま代表 新井俊雄 |
| ●長靴で赤ジュータン 神宮寺住職 高橋卓志 ●追悼 末次一郎先生 |
| ●編集後記 |
ちくま20周年記念イベントへのお誘い |
皆様のご支援のお陰で、ちくまは20周年となりました。法人化が具体的にすすんでいる年でもあります。感謝と、さらなる飛躍のため、下記のようなイベントを開催します。一般広報にさきがけて会員の皆様にご案内いたします。このイベントは、応援団による実行委員会で準備しています。
ご参加をお待ちしています。(下記要領で事前にお申し込みください)
◆20周年祝賀会◆日時 9月29日(土)午後6時〜8時
会場 神宮寺アバロホール(松本市浅間温泉3−21−1)
会費 5,000円(ご祝儀ご辞退申し上げます)
小・中・高2,000円 乳幼児無料◆記念イベント◆ 尋常浅間学校のご協力をいただき、企画されました。
永六輔さんの公開授業
「ショーガイ学習」〜尋常浅間学校「ちくま分校」〜日時 9月30日(日)午前10時〜午後3時
会場 神宮寺アバロホール(松本市浅間温泉3−21−1)
ゲスト 牟田悌三さん 手仕事屋きち兵衛さん (他依頼中)
授業料 3,000円 小学生以下無料
昼食 お茶付500円
(要事前予約、授業料等と一緒にお振込みください)
公開授業は、出入り可能です。出入りの際に受付で見せていただく木戸札をお渡しします。
遠方から2日間に渡ってご参加の方は、ご自身でのお宿の手配をお願いします。適当なお宿のお問い合わせにはお答えします。(神宮寺での宿泊はできません)
同封振込用紙に明細(祝賀会、公開授業、昼食)お書き込みの上、お振り込みください。振込用紙の領収書を、当日受付でご提示ください。締切り9月10日。
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ちくま代表 新井俊雄
老人も、乳飲み子も、働ける者も、働けない者も、小さい集団の中で生きられる。
大きくなった集団も小さい集団の集まりですから、その総意で互いが協調しながら生きる。
様々な価値観を持つ人が生きられる。
こんな世の中であったらいいなー、と常々思っています。
「ちくま」をつくりたての時、こんな事を書いたり、人に投げかけてもみたのですが、私のような者の言うことに耳を傾けてくれる人は少ないもので、実践あるのみと感じ、様々な仕事を起こし、あらゆるところで障害を持った人の社会参加をこころみました。20年たってみると、喫茶店はあるし、様々な事業を起こしていました。また、世間には喫茶店に限らず障害を持った人が街中に多く見られるようになりました。障害という言い方も抵抗があるが、障害者とか健常者という言い方をこえ人間として、生きやすい人、生きにくい人、弱い立場にある時、強い立場にある時、様々な人がいての人間社会であります。様々な人が居て、そして皆がちょっとやさしくなって、そこに協調が生まれ、少しは生きやすい社会になるはずなのです。
しかし、人間は本来自己中心的で、自分の立場でものを言い、保身も身につき、人を受け入れず、人の考えや、主張を受け入れることも、なかなか難しいもんなんです。
そんな人間が当たり前なのですが、このような人間の特質が過ぎると、人の中に居られなくなり、社会との乖離が始まり、孤立化し、人間から遠ざかって行きます。
障害者(?)を特別な存在にしないで、まず障害を持った人が地域の中で生きられる、こんな姿を描いて20年、これからは、さらに多様で様々な福祉提案を具体的に進めてみたいと考えております。
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神宮寺住職 高橋卓志
「アライセンセイ」に出会ったのは、1980年のことだと記憶している。襟の詰まった白衣のような異様な服を着て、天気がいいのに長靴をはいていた。見るからに変なヤツだったし、加えて態度がデカかった。もちろん顔のデカさも印象的だった。そいつが「ナントカ研究所」を主宰しているというのだが、「研究」にかかわるようなテアイでは決してないその風貌や話しぶりにぼくは戸惑った。アライセンセイが新井俊雄であり、ナントカ研究所が筑摩工芸研究所であることを知ってからもうすでに20年が経つ。
いまぼくは長野県NPOセンターの代表として、現代社会に新しいセクターの存在意義と、新しい価値観に基づく行動原理を提唱する立場にある。そしてNPO活動の発展基盤を、経済的、人的、拠点的な自立におき、高度な情報を利用しながら既存のセクターに割って入ろうという企みを行っている。そのNPOをほとんどの人々が新しい社会組織として位置付けている。そして、そこから生まれてくる(であろう)活動が硬直化した現代社会にしなやかな(使い古された言葉だが……)風を吹き込むかもしれないと少々は期待しているようだ。しかし「ちくま」が20年前から、普通に、そして当然のこととして行ってきた事象は、現行のNPOの理念とちっとも変わらない。つまりちくまは20年前から今の時代を先取りしていたことになる。
手仕事屋きち兵衛(ちくまの設立に多大な貢献をした)と新井、そしてぼくの3人は、かつてこんな話をしたことがある。「10年経ったら、あるいは20年経ったら俺たちどうなっているのかね。ひょっとしたら全国レベルで活躍しているかもしれないね。」と。3人とも少しはその予測に近付いたのかもしれない。それはそれで結構なことだ。しかしその話にはもうひとつ約束が付け加わった。「でも、政治にだけは手を出さないようにしよう」。
この約束を最初に破ったのは新井である。熟慮した結果、政治に手を出さざるを得なかったのならそれも仕方ない。しかし新井の場合は決してそうではない。彼はただ、長靴で赤ジュータンを踏みしめてみたかっただけだというのだ。約束を破ったことは問題だが、これが新井の新井たる所以であり、すべてに深慮遠謀がない、別の言葉でいえば「いいかげん」を絵に描いたような所業が彼の特徴なのだ。そしてちくまは彼の持つキャラクターにより、極めて「いい(良い)かげん」な20年を過ごしてきた。
何はともあれ、ちくまと快く付きあわせてもらって20年、その間にちくまは松本の福祉にオルタナティブなステージを作りあげたことは間違いない。そのステージに関して、ちくまが民間であるがゆえに、また新井の「長靴で赤ジュータン」というような「いいかげん」な個性ゆえに、官僚的で頭の硬いヤツラや、旧来的な意識にしがみつくヤツラには正確に評価がなされなかったきらいがある。でもかまわない、とぼくは思う。新井は新井で、ちくまはちくまであればいい。すでにちくまという存在が、20年の実績がすべてを物語っているからだ。
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実行委員長 降幡和彦
みなさん、お久しぶりです、降幡です。今回、ちくまの20周年記念のイベントを実行委員形式で行うことが決まり、口だけは良く動くとのことで、自分が実行委員長を受けることになりました。よろしくお願いします。
現在ちくまに関わって下さっている皆さんは、「お久しぶりです」と言われても、あんた誰?と思っている方もいると思います。自己紹介も含めて、少しちくまとの関わりを話したいと思います。
現在自分は、大下さんの部下としてぴあねっと21で働いています。もう何年前だか忘れたのですが、ちくまの所員として働いていたことがあるのです。当時、似合わないネクタイを締め、木彫、七宝などの製品や極楽味噌などを当時唯一の営業車だった50ccのバイクで営業したり、石鹸作りの手伝いや廃品回収などの仕事もしました。記憶では、在籍1年半ぐらいだった気がします。
そうです、今のちくま移動サポートのはしりみたいなこともしてました。所員の送迎などを自分の車を使ってやっていました。特に大下さんのかばん持ち兼運転手は、ほぼ毎日のようにやっていました。なぜか休みの日も。ただし単なるアッシーです。
さて本題に入りますが、今回は、実行委員の皆さんが頼りのイベントです。ぜひ多くのみなさんに参加してもらえたらと思っています。何しろ楽しい仲間で作るイベントになればと思っています。
どうぞ皆さん参加してください。
“一年間ボランティア”派遣により「ちくま」を応援して下さっている
「社団法人日本青年奉仕協会」の末次一郎会長がお亡くなりになりました
末次会長に最後にお会いしてから、まだ1年も経っていません。松本で開催された台湾との国際会議のため来松され、松本の福祉事情を聞きたいと呼んでくださったときのことです。
歴代の総理から日々、相談の電話が入る会長は、その日、お一人でスーツケースを持たれて松本駅にお着きになりました。ちくまの古い車に気軽に乗られ、神宮寺での懇談後、議場のホテルへお送りしてお別れの時、車中の私の窓辺へ。そして後日、直筆のおはがき……。
日本を動かされていた方は、私のような若輩にも丁寧に接してくださいました。あれも、これもご相談したいと思っていた矢先の訃報です。20周年にもおいでいただこうと思っていました。
あらゆる場所で、育てていただいた者たちが、ご意志を継げるようお見守りください。合掌。(大下京子)
その年、松本で開催された「ボランティア研究集会」は、近隣市町村に分散した会場で行われていた。私は信州へ来てまだ間もなく、ようやくいろいろな道を覚えた頃だった。そんな中、期間中に私が受け持った仕事は、「一年間ボランティア」を派遣している、日本青年奉仕協会の会長さんを各会場へお連れする運転手だった。当時、私の運転する「ちくま」の車は、信号待ちでハンドルを離すと、ハンドルが自動的に左へ向いてくれるといった車だった。その後部座席に乗られたのが末次先生だった。移動の車中では、私の個人的な悩みまで話を聞いてくださっていた。
先日、15年ぶりに再開の機をいただき、当時より少しはいい車でお迎えに伺った。再会したとたんホームで、「あの後、どうなった?」と当時の話の続きを切り出されて、驚いたと同時に、とても暖かくなった。私の中にとっておいた、末次先生との大切なエピソードである。(野田瑞穂)
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