紀州本 川中島合戦図屏風(解説



右隻解説)(拡大677k)(部分拡大
「北越軍記」が第2回目の戦いとする天文23年(1554)の戦いが描かれている。 このときは謙信と信玄の一騎打ちがあったとされているが、「甲陽軍艦」では一騎 打ちは第5回目の永禄4年(1561)のこととしている。

左隻解説)(拡大682k)(部分拡大
同じく第3回目の戦いとされる弘治2年(1556)の戦いが描かれている。 妻女山に陣取った上杉軍が武田軍の本陣を急襲する場面で、これも「甲陽軍艦」 では永禄4年の戦いとしている。川中島最大の合戦である。
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新発見の「紀州本」屏風を家宝に! 太刀を交わす謙信と信玄、その将兵一千人を描く壮大な歴史絵。


川中島合戦を描いた屏風は、本屏風を含めて全国に二例しかなく、その複製は本品が初めてです。              発行元(株)郷土出版社
扁額予約限定頒布見本
■仕  様
製  版 特色レプリカ仕上(特色オフセット製版+金版シルクスクリーン仕上)
用  紙 波光(特注美術印刷用紙)
仕  立 額装、褐色塗り木製縁、緞子縁回し、アクリル板覆い
本紙寸法 縦39.3cm×横99cm
額 寸 法 縦54.0cm×横113.5cm
解  説 別冊解説付き(B5判16頁)
制  作 (株)便利堂(京都市)
仕  立 (株)大入(京都市)
刊行記念予約特価 148,000円(税込み)頒価160,000円
分割払いもあります、ご相談ください。

屏風150部予約限定頒布見本
■仕  様
製  版 特色レプリカ仕上(特色オフセット製版+金版シルクスクリーン仕上)
用  紙 波光(特注美術印刷用紙)
仕  立 屏風仕立て、左右一対(六曲一双)揃え、黒塗り木製縁、貴船緞子(緞子)表装
本紙寸法 各縦100cm×横252cm
額 寸 法 各縦110cm×横262cm(実物大の92%縮小し上げ)
解  説 別冊解説付き(B5判16頁)
制  作 (株)便利堂(京都市)
仕  立 (株)大入(京都市)

刊行記念予約特価 1,550,000円(税込み)頒価1,650,000円
※原寸大屏風は制作に時間がかかります。お申し込みからお手元へ届くまでに、多少日数がかかる場合もありますが、ご了承ください。
分割払いもあります、ご相談ください。
パンフレットも用意しております。下記にお問い合わせください。

インターネット安曇野
  mail to:azumino@po.cnet.ne.jp

解説
 平成四年春、和歌山県内の旧家で発見された「紀州本川中島合戦図屏風」は、上杉謙信と武田信玄との川中島合戦を描いた屏風としては、山口県のにしむら博物館所蔵の屏風につぐ全国でもたった二例目のものであるとともに、歴史的にも美術史的にも非常に高い価値を持つ屏風であることが確認され、全国に大きな衝撃をあたえました。その描写や構図はにしむら博物館の屏風とは異なり、謙信と信玄が御幣川(おんべがわ)の中で太刀と太刀で打ち合う場面(にしむら本は太刀と軍扇)は、越後流軍学者宇佐見定祐(さだすけ)の著した「北越軍記」の記述と一致することから、この定祐を藩士として取り立てた初代紀州藩主徳川頼宣公が制作を命じた屏風であると考えられます。また、絵師は狩野派の腕の立つ御用絵師が想定され、成立も江戸時代初期の寛文年間(一六六一〜七三)とみられています。以上の点などから、紀州本屏風は今後わが国の第一級の文化財として位置づけれれるものと、各界から注目されております。
 この紀州本屏風は公開されてから全国に大きな反響を呼びましたが、発見されてからまだ日も浅く、その全容が紹介される機会も少ないことから、歴史・美術愛好家や研究者など各方面から広く公開を望む声があがっておりました。そこで、小社はこのたび始めて所蔵者の許可をいただき、この紀州本屏風を現代美術制作の技術を駆使して忠実に再現し、歴史愛好家の研究用や一般家庭の観賞用に広く普及することにいたしました。
 そしてまず今回は、謙信と信玄の一騎打ちが描かれている右隻(うせき)を縮小し扁額仕立てとして頒布することになりました。また、これと平行して、美術館・博物館などでも常設展示可能な原寸大(九二%縮小)の復元屏風を、予約により限定制作いたします。今回の制作により、この屏風が歴史や郷土美術を愛する多くの方々のお役に立つことを願うとともに、永くご愛蔵いただけることを心から祈っております。

●原 本
名 称=紀州本川中島合戦図屏風
内 容=紙本着色、六曲一双、各縦118cm×横282cm
年 代=江戸時代初期(十七世紀後半=寛文年間(1661〜73)頃)
所蔵者=個人(和歌山県立博物館寄託)
右隻 天文二十三年八月十八日の川中島合戦
 季節は秋、画面のそこかしこに紅葉が見える。中央上から左下にかけて御幣川(おんべがわ)を配し、右下には千曲川と海津城(かいづじょう)を、そして右上には犀川と善光寺を置く。
 主題は、この日の戦闘のクライマックス、御幣川の激戦。おおまかに中央に上杉軍、その右と左に敗走する武田軍という構図になっている。
 まず画面左半部からみよう。四扇から五扇にかけて、御幣川に殺到し一気呵成(かせい)に攻め立てる上杉軍、五扇から六扇にかけては、すでに浮き足立ち敗走する武田軍を描く。問題の謙信・信玄の一騎打ちは五扇中央に。大将のもとを離れて逃げる四如(しじょ)・諏訪法性(すわほっしょう)・八幡の旗。謙信の前後には「(=毘)」・日の丸の旗がはためく。柿崎和泉(蕪の馬印)らの武将謙信の後に続く。その右下の山上には、見物する天海の姿がある。彼はこのころ武田家の祈祷師であった。一騎打ちの上方、槍で奮闘するのは武田方の「槍弾正(だんじょう)」こと保科弾正であろうか。その先を真田の六文銭が逃げていく。画面左端からは、武田軍を挟撃にしようと数騎の騎馬武者が迫る。島津月下斉の十字の指物もその中にみえる。五扇上端に、武田菱の旗をかざした一隊が退く。武田義信であろう。
画面右半部には、御幣川と反対の方向に武田軍を追う上杉軍が描かれる。三扇中央に、上杉方村上義清(「上」の旗)・渡辺越中(渡辺星の馬印)の活躍を描く。一扇・二扇には千曲川の方向に敗退する武田軍。右下の海津城内も、味方の敗戦に狼狽(ろうばい)する。
二扇・三扇の上端では、上杉方中条越前の護る荷駄隊に百姓の集団が襲いかかり、中条が必死で防ぐ。
三扇中央やや上では、「無」の旗、三つ瓶子の馬印をかかげた一隊が、弓・鉄砲を構える。中央の武将は床几(しょうぎ)で戦況を睨む。この人物こそ、謙信の軍師とされた架空の勇将宇佐美駿河守定行、そのひとである。
※右から一面ずつ、一扇〜六扇と呼ぶ。
※ここでは、主に「川中島五箇度合戦記」(続群書類従第二十一巻下)などによって、絵解きを試みた。
(高橋 修)

左隻 弘治二年三月二十五日の川中島合戦
 季節は春、桜が咲き乱れる。軍勢の松明(たいまつ)が夜の戦闘を示す。画面左下には妻女山(さいじょさん)と千曲川、左上には集落とその間を流れる御幣川を置く。右上に善光寺、その前を流れる犀川、右下には海津城城門と千曲川を配する。
 この日の合戦で信玄は一計を弄(ろう)し、謙信陣所の妻女山を別働隊に背後から夜襲させ、それに驚いた上杉軍が千曲川を越えて越後に退こうとするところを川中島に待ち伏せ、挟み撃ちに討ち取ろうとした。しかしそれを見抜いた謙信が一足先に武田本陣を急襲する。屏風では、謙信が信玄の裏をかき、上杉軍が武田本陣に殺到する場面を描く。
 二扇・三扇に、上杉軍の奇襲攻撃を受ける武田本陣を描く。中央に陣屋、周囲には馬防柵をめぐらす。武田方も必死に防戦するが、柵の前面はすでに踏み倒されている。また陣屋には火がかけられ、炎と黒煙を吹き上げる。信玄は本陣右端にいる。四如・諏訪法性などの旗が並ぶ。床几(しょうぎ)で必死の采配(さいはい)を振るう。
 一方の謙信は、四扇やや下方に。白馬に跨(またが)り、愛用の青竹で突撃を命じる。柿崎和泉(蕪の馬印)・安田(九曜星の旗印)らが従う。謙信本陣を示す「(=毘)」の旗、日の丸もみえる。
 三扇下方には、村上義清隊の進撃が描かれる。村上隊から右方に続く軍勢の流れが上杉軍である。その先頭を行き、飯富(おぶ)隊(桔梗の馬印)を追うのは渡辺越中の守。二扇右端やや下方の馬から落ち敵と組み合う味方を救おうと槍を片手に馬を蹴る武将は、例の宇佐見定行である。「無」の旗が後を慕う。
 画面右下、海津城より出陣する一団は、前夜、妻女山の上杉軍夜襲の命を受けた武田別働隊である。五扇・六扇下には、妻女山の上杉方陣所に到達した武田別働隊が、もぬけの殻であることに気付き、あわてて戦場をめざす様子が描かれる。五扇・六扇上方の一団も武田別働隊である。
 一扇から四扇上方の戦闘は、戦場に到達した武田別働隊に、上杉方が追い立てられる様子であろうか。
※右から一面ずつ、一扇〜六扇と呼ぶ。
※ここでは、主に「川中島五箇度合戦記」(続群書類従第二十一巻下)などによって、絵解きを試みた。
(高橋 修)


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